創 〜 白子の少年


冬の晴れ間、柔らかく穏やかな陽光が薄い雲を通り抜ける午後。
莢は一人で雪の解け残る神社の参道を歩いていた。
霙の様な雪は踏むとしゃくりと音を立て、更に広がり石畳にその水分を増す。解けきらなければこれらはまた、夜になって冷え込む間に凍てつき人の足を滑らせるようになるのだ。
早朝の参拝客が転んでしまわないようにあとで片付けさせた方がいいかもしれないと思う。
直射日光を避け、莢は広大に広がる社殿に向かった。ここからは見えない、関係者以外立ち入り禁止の看板の向こうにある凪榊の私有地内の道場で楓と待ち合わせをしていた。

「―――みこさまっ」

木々の影などを伝いながら歩を進めている最中に、自分を示す呼称の一つが背後から聞こえる。それにふと足を止め振り返った。

「みこさま、こんにちはっ」

見れば少女が一人、こちらへと駆け寄って来ているところだった。
冬らしい色調の可愛らしいコートに、毛糸玉の付いた手袋にマフラー。何か滑り止めでも付いていればいいが、ゴム製の長靴でこの濡れた参道を駆け寄ってくる様は何だか危なげだ。
向き直る莢は少女と対峙し、柔らかな笑みを浮かべる。

「こんにちは」

少女のやって来た先、今は裸になった桜並木の向こうを見やると少女の母親らしき女性が莢に気付き頭を一つ下げた。

「あのね、みこさま」

この少女の顔には見覚えがある。
あの母親も、前回会った時には父親も居た筈だ。

「きょうはおまいりにきたの。かみさまにおねがいごとと、ありがとうって」

思い出した。
そう、この少女はつい先日莢が「祓い」を施した少女だった。

何も特別な事など無く、平穏な日常を過ごしていた家族。…なのにとある夜、夫婦が幼い少女を抱えこの神社に助けを求めてやって来た。


『娘をっ、助けて下さい!!!』

話を聞けばその夜突然、まだ幼稚園児である少女が意味も解らず口走る筈も無い言葉を、その少女のものではありえない低く恐ろしい声が叫び散らし暴れ始めたという。
初めこそ恐怖に慄いた夫婦だったが、それでも少女を止めようと必死になり、一通り暴れるとまるで糸の切れた人形のように意識を失った我が子を抱えこの神社に駆け込んできた。

『まるで何かに取り憑かれたように――』

実際、霊視の後に儀を執り行ってみれば少女には一体の悪霊が憑いていた。
否、本来それは悪霊ではなく――…元は小さな神だった。
現代の忙しない世の中から次第に忘れ去られ、寄せられる信仰を失くし、ただ一つ残った孤独がいつしか自分を無き存在へとする人間への憎しみを芽生えさせ、……穢れに堕ちた結果偶然見つけた純粋な少女に付け入り取り憑いた。
自分の深い場所にある悲しみを分かってくれる無垢な少女。
両親に慈しまれ日々を過ごすその内側は居心地が良かった。そして嫉ましかった。

『あなた方神を識り、信じる人間はまだ多く居ります。悪しき邪の道になど堕ちずにどうか神世へお戻り下さい』

祝詞や言霊、神具を使って力ずくに引き剥がすのではなく、心を示して心に宿す。
勿論本物の悪霊や鬼・妖怪の類等と対峙すれば戦いに発展する場合もある。しかし今回はその必要は無い。そう感じた。
神に愛されし白子の少年、凪榊莢は神子である。
八百万の神々と心通わす、心優しき神子である。

『その子を開放して下さい。あなたは分かっている筈です。その子はあなたを信じてる、あなたの淋しさを慰めてあげたかった筈なんです』

  だいじょうぶだよ―――
  かみさまのこえ、きこえるよ……


娘の傍へやって来た母親は、少女の手を取ると深々と莢へ頭を下げた。

「先日は有難う御座いました」

無事に悪霊が…いや、哀しい神が。
少女から離れ本来の意識が戻った時に、夫婦は揃って涙した。


『あぁ、神子様っ…』
『有難う御座います、有難う御座いますっ……』
『……おとうさん、おかあさん?どうしたの?ないてるの…?』

今となってはそう珍しくもなくなってしまった、彷徨える神を天とこの地の狭間に還す事の出来た莢はあの時夫婦に向かって告げた。

『その子はとても優しかったから、淋しい神の拠り所になってしまいました。ですが恐ろしい思いをさせてしまった事を決して恨まないで下さい。憎まないで下さい』

白子はその種の生き物として持つ筈だった色素が生まれつき欠落して誕生した生命のことを示す。莢は生まれついてより白磁のような肌を持ち、薄い象牙色の髪と瞳を持っていた。
端から見れば白となんら変わりの無い目を柔らかく細め、言葉を続ける。

『今回その子に入った神はその子によって救われました。だからきっと、見えなくても感じなくても、その神が在り続ける限りその子を護ってくれるでしょう』

神とは人に応えるものだ。
信じれば実りと幸いを、無下に扱えば祟りをもたらす。
遠い空の向こうにいるという概念も間違いではないかもしれないが、本当は水の一滴、木の葉一枚、土の一握りにだって存在している。
この大和の国において神と人は遙か昔より共に存在しているのだから。

『常にではなくても構いません。思い出した時にだけでも、時々祈りと感謝を捧げてあげて下さい』

それだけ告げてあの時はその場を去った。
それで終わりにした筈だった。


「――いえ。その子を大切に。…ごゆっくり」

幾ら純真無垢と言えど神と心通わせる事が出来る人間は多くない。
心の底から神職に就き身を捧げていている者でさえも、一握りどころか一抓み居るかどうか。
それは感性であり才能である。開花させれば何か素晴らしい能力が宿るかもしれないのだ。

莢は踵を返し、再び社殿へと歩む。

「みこさまっ、わたし、またきます。これからもいっぱいきますっ…!」

振り向かず足を止めなくとも、小さく笑みを浮かべて進む。
僅かな日の光の微睡む中、少女の隣では母親がいつまでも頭を下げていた。

冬の日差しが俄かに雪と氷を解していく。
このまま冬も融かし尽くせば、春の芽生えはあと一月程後の事だった。


不具は天に愛されし証。
白子の少年、莢は今日も神と心を通わせる。